2025年1月,新たなブログ「田中浩朗文庫」を始めました

出席は成績で報われるべきか

先日、私が担当するあるオンライン授業の受講者から印象に残る感想をもらいました。「真面目に出席している人が馬鹿を見ている」という趣旨の不満でした。

その授業は、週1時間のZoomによるライブセッションと1時間程度のオンデマンドビデオで構成されています。私は常々、ビデオコンテンツが授業の本体であり、Zoomセッションはそれを補完するための「ミーティング」だと説明してきました。そのため、Zoomへの参加は任意とし、成績評価には影響しないことを明確にしています。しかし、この方針に対して、強い異論が寄せられました。その学生は、毎回真面目に出席している自分たちが、参加していない学生と同じ評価基準で判断されることへの不公平感を訴えたのです。

確かに、高校までの教育では出席は極めて重要視され、皆勤賞という形で表彰さえされます。多くの大学の授業でも、出席は成績評価の重要な要素として扱われているでしょう。しかし、私は大学における学びというものを少し違う角度から捉えています。まず、授業への出席は「義務」ではなく「権利」であるべきです。学生には、自分の学習スタイルや優先順位に応じて、柔軟に学習リソースを活用する自由があってしかるべきではないでしょうか。また、「出席」は必ずしも「学習」と同義ではありません。特にオンライン環境では、画面に接続しているだけで別のことをしている可能性もあります。実際の教室でも、物理的な出席だけを取るために現れる学生や、内職をする学生は少なくありません。そして何よりも、私の授業では、成績評価の基準を授業の目標達成度に置いています。「真面目に出席すること」自体は学習目標には含まれていません。つまり、評価すべきは学生が何を身につけたかであって、どのようにそれを身につけたかではありません。

確かに、学生の不公平感は理解できます。しかし、大学教育において本当に重要なのは、決められた時間に決められた場所にいることではなく、主体的に学ぶ姿勢を身につけることではないでしょうか。現代では、ICT技術の発展により、学びの形は多様化しつつあります。授業のコンテンツをオンデマンドで視聴できる環境があれば、必ずしもリアルタイムの参加にこだわる必要はありません。むしろ、学生が自分の学習ペースやスケジュールに合わせて柔軟に学べる環境を整えることこそが大切なのではないでしょうか。

この考え方は現状では少数派かもしれません。私の大学では依然として厳格な出席管理を行い、欠席には診断書などの証明書を要求しています。この慣行は、学生の自由な学びを制限し、形式的な「出席」を重視する文化を助長しているようにも思えます。しかし、私は出席を成績評価の対象とすべきではないという立場を取り続けるつもりです。それは、大学における学びの本質は、知識の獲得や能力の向上にあり、「真面目さ」ではないと考えるからです。

初出:227 日記 | 出席は成績で報われるべきか(LISTEN, 2025.1.18)