イン・ザ・ミドル(3)

2018.7.31読了。

ナンシー・アトウェル(小坂敦子・澤田英輔・吉田新一郎編訳)『イン・ザ・ミドル—ナンシー・アトウェルの教室』三省堂,2018年,368頁(原書第3版2015年)

イン・ザ・ミドル(2)」からの続き。

第6章 一人ひとりの書き手を教える

ライティング・ワークショップで生徒たちがひたすら書いている時間に,教員が回って一人一人の生徒のところで行うカンファランス(個別指導)について具体的に書かれている。

私が注目したのは,アトウェルがなぜ生徒の間を回りながらカンファランスをするのかという点だ。彼女も,机を指定して個別カンファランスをしたことがあるという。しかし,生徒は長居したり,待っているあいだに遊び始めたりと,うまく行かなかったという。できるだけ多くの生徒と効率的にカンファランスするには,教員が生徒のところに回っていくに限るということのようだ。私の場合は,教室の後ろで質問に来る学生を待っていても誰も来なかったという問題に直面した。状況は全く逆だが,カンファランスをうまくコントロールできていないという点では同じだ。

私の教室の場合,50〜70名くらいいることがあり,いくら効率よく回っても,一人あたり一学期に1〜2回くらいしか回ることができないだろう。そこで今学期私は,授業サイトの投稿にコメントをつけるかたちで個別指導をしようと考えた。しかも,学生の学びを点としてではなく,線として捉えられるように,パソコン上に学習カルテ(データベース)を作って,そこにメモを書き込みながら,できるだけきめ細かく指導したいと考えていた。しかし,途中から学生の投稿を読んでコメントを付けることが追いつかなくなり,挫折してしまった。

アトウェルの「ミニ・レッスン+カンファランス」というやり方では大人数のクラスを教えるのは難しい。そこにグループ活動を挟み込むことで何とか改善できないかと考えているのだが,アトウェルはそれをあえてやめてこの形にしたというので1,悩んでしまう。

第7章 一人ひとりの読み手を育てる

リーディング・ワークショップにおけるチェック・インとレター・エッセイが解説されている。これは,本好きが行う楽しい会話を何とか教室で再現しようという試みだ。また,レター・エッセイは文芸批評の導入であり,その後の様々な散文のジャンル(レビュー,エッセイ,主張文,人物プロフィールなど)へとつながっている。

レター・エッセイは文字通り手紙であり,その宛先の半分は教員だ。この手紙はノートに書かれるため,教員は各生徒のすべてのレター・エッセイを読み,評価する。レター・エッセイは3週間に1度書かれるのだが,それでも書くべき返事は大変な量になる。

これも,学生同士でやりとりさせれば,実行可能ではある。ただ,そうすると教員はその中にどのように関わっていけばよいのか。カンファランスと同じ問題がここでも生じる。

第8章 価値を認める・評価する

アトウェルは,点数や文字(段階)による評価をしない。総括的評価は,ポートフォリオによる自己評価と教員による評価だ。しかし,段階別の評価を出さなければならない場合はどうするかについても書かれている。生徒が自分で設定した目標の達成度をポートフォリオにより評価している。目標は,生徒と教員がいっしょに設定するので,成績を良くするために故意に低い目標が設定されることはない。

この評価方法も,大人数でどう実現するかという問題がある。結局,この問題はあらゆるところでついて回る。

全体を通しての感想

アトウェルの本物志向が印象に残った。学校の中でのみ通用するような活動は極力排除して,学校の外で実際に行われていることを学校の中に取り入れている。生徒が書いたものは出版(publication)するというのも,その一例だ。そのため,アトウェルは出版前に自分がきちんと校正する。現在出版されているものはどのようなプロセスを経ているのかをきちんと生徒に示している。

ひるがえって,大学で学生に書かせている「レポート」なる文章は何なのだろう。学生たちは,毎学期,多くの科目で課される大量のレポート課題を,ネット上の文章の切り貼りで済ませている。ネット上にもそのような文章が溢れている。本物を知らない大学生が世の中に出ていってしまう。「まがい物」「子供だまし」ではなく,「本物」を学校に取り入れなければ,と強く思って,まずは1回目の読書を終えた。

【天気】晴れ。

  1. [ITM初版]アトウェルが試行錯誤の末にグループ活動をやめた理由とは?」(あすこまっ!)