イン・ザ・ミドル(1)

第2章まで,2018.7.28読了。

ナンシー・アトウェル(小坂敦子・澤田英輔・吉田新一郎編訳)『イン・ザ・ミドル—ナンシー・アトウェルの教室』三省堂,2018年,368頁(原書第3版2015年)

本書は,アメリカの国語教師が,自らの実践について具体的に記した本で,通常なら国語教育に携わっている人が注目する本だろうが,実際には国語教育という枠を超えて教育に携わる多くの人の注目を集めている。とはいえ,国語教育に関わっているわけではない大学教員が注目する例は少ないかも知れない。しかし,大学で科学技術史を教える私にとっても必読書だと思っている。

本書に書かれているのは,ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップのやり方と,それを何十年も続けてきた教員と生徒たちの姿だ。あらかじめ決められた教育内容を計画的に進めていく教育とは対極にあるその教育方法は,そのまま日本の教育現場に適用するには困難が多いのだが,しかし現在の自分の教育を振り返り,改善していく上では多くの示唆を得ることができる貴重な本となっている。この夏,そうした関心をもって多くの日本の教師たちが本書を読んでいくことだろう。

第1章 教えることを学ぶ

この章では,著者が最終的なライティング・ワークショップ/リーディング・ワークショップのやり方にたどりつくまでの物語が書かれている。その中で,以前と今のやり方を次のように比較している(17頁)。

以前は教卓の向こう側から一方的に教えていたのが,今では,生徒一人ひとりの間に入るようになりました。また,以前は決まりきったカリキュラムで授業をし,変わりばえのしない課題を毎年決まった時期に出し,生徒全員に同じように学ぶことを求めていたのが,今では,一人ひとりの生徒がやろうとしていることや強みや課題を明らかにして,それに対応する教え方を展開しています。

“教卓の向こう”と“こちら”という分断。これが学生と教員(私)を隔てている見えない壁なのではないかと気づかされた。私は授業中に,気軽に私のところに質問に来るよう学生に促したのだが,それに応えた学生はほとんどいなかった。それがなぜなのか良く分からなかったが,何となく分かってきたような気がする。私は,質問を教卓の向こう側ではなく,教室の一番後ろで受け付けようとしたのだが,同じことだ。私の周りにできてしまっている見えない壁を壊さない限り,学生は来るようにならないだろう。

ちなみに,本書のタイトル In the Middle の意味はいろいろに解釈可能だが(13頁),私は「生徒一人ひとりの間に」という解釈が一番ぴったりくる気がしている(表紙の写真にも二人の生徒の間にいるアトウェルが写っている)。

さて,教師が選んだ作品を読み,解説する授業を捨てて,生徒が選んだ本を読ませる授業へと進んだ頃の記述はこうである(39,43頁)。

自分で選んだ本を読みたいという生徒たちの声を耳にするたびに,私は後ろめたい気持ちを抱きました。とはいえ,私が大好きな本,読む価値の高い作品集,長年かけてつくってきたレッスンプランが十分すぎるほどあり,とても,7・8年生の未熟な好みで選んだ本で,時間を無駄にする余裕などありません。ですから4日間は私が選んだ本で教え,生徒が本を選んで読むのは週1日という形を崩しませんでした。(中略)他の日も金曜日のように読みたいという生徒の求めに応じて,私はライティング・ワークショップの時間だけをまるで別世界のように分けていた壁を,おそるおそる崩し始めました。学年の初めには週に2日,自分で選んで読む時間をとりました。2学期になると週に3日。次の学期にはまた1日増やし,ついには,文学についての私のカリキュラムは机の引き出しの奥にしまいこまれました。生徒たちは毎日,読み手になり,私は本当に読むとはどういうことか,文学作品に向き合うとはどういうことかを学び始めたのです。

今学期の私の授業は,100分の半分を従来型の講義,残りをワークショップ形式で行った。その際の私の気持ちは,上に引用したかつてのアトウェルと同じのように感じる。アトウェルはかつての自分の授業を「私が選んだ文学作品の,私が考えた解釈を,ただ受動的に受け取るだけ」と表現しているが,これを私の授業に当てはめれば,「私が選んだ歴史事象の,私が考えた解釈を,ただ受動的に受け取るだけ」となり,まったく同じだ。この講義部分をどうするかが今の私の検討課題なのだが,アトウェルと同じように「机の引き出しの奥にしまいこまれ」るのだろうか。

もしそうだとした場合,私が進むべき道はこの本に書かれているように思われる。細かいことで参考になることはたくさんあるのだが,基本的な方針として,次のエピソードからは大きな示唆を得た。アトウェルが国語教員としての職場を7週間離れて大学院で学んだ時のことである。ブレッド・ローフ大学院のディキシー・ゴスワミ先生がこう指導したという(25頁)。

自分がどうやって書いているのかを言語化し,そこでの発見を7・8年生や9年生以上への書く指導に活かせるように考えなさい。

これを私に適用するなら,自分がどうやって歴史を学んで(楽しんで)いるのかを言語化し,それを歴史の指導に活かすということだろう。アトウェルは文学を教える教員だったが,これを歴史に置き換えて,自分で考えていく必要があるだろう。私にとっては大きな挑戦だが,アトウェルがそれを楽しめたように,私にもいつか楽しめる時が来ると信じたい。

第2章 ワークショップの準備

この章には,「時間を確保する」ことと「教室」に備えるべきものについて,実例を示しながら詳しく書かれている。それを読んで印象深かったのは,教員の期待を具体的に伝え,その期待に沿って子どもたちが活動できるよう最良の環境を整えようとする姿勢である。私は,自分の思い通りに学生が動いてくれなかったことを嘆くことが多いが,その割には自分の期待を学生にきちんと伝える努力をしてこなかったし,それを実現するための環境も整えていなかった。本書を鏡にして読むと,自分の姿がよく見えてくるような気がする。

今学期の私の授業を振り返ると,まず毎回の個別学習時間が20分余りと少なかった。この時間に,情報を集め,小レポートを執筆することを求めたのだが,それは様々な弊害を生み出したと思う。「時間を確保する」という原則を守りたい。まずは,自分のペースで作業が進められるよう,小レポートの締切を学生が自ら決められるようにしたい(執筆計画の自己管理)。また,情報を集め,小レポートを執筆するために必要なものもできるだけ揃えていきたい(ワークショップ・ノート=writing handbookに相当するもの)。

ワークショップを行うには,そのための部屋というものが重要だ。本書にはアトウェルが授業をした教室の概観図(78頁)が掲載されているが,大学の教室はこれとは程遠い環境である。そこでワークショップを行うには,物理空間を補うウェブ環境が重要だと思っている。本書を参考に,授業サイトを作り込んでいきたいと思っている。

参考:本書を紹介するブログ記事

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