帰宅

 昨日(3/11)午後2時46分,大学の自室で大地震。最上階の11階は大きく長く揺れ,とりあえず部屋から出た。部屋の中は本が本棚から落ち,床全面に散乱した。本棚は固定しておいたため,倒れなかった。建物の外に出るよう指示があり,道路で様子を見た。校舎の壁はあちこち亀裂が入っていた。また,道路に面した1階の大きなガラスが割れていた。しかし,一昨年の耐震補強工事のおかげで,この程度で済んだのかもしれない。3時と4時に会議の予定があったが,それどころではなかった。余震が結構あり,部屋の整理等は不可能。結局,夕方5時前に徒歩で帰宅することにした。

 千代田区の大学から習志野市の自宅まではiPhoneで調べる限り約25km,約5時間で行けるようだ。何とかなると思った。靖国通りから京葉道路へ,東京マラソンのスタート時のように大混雑のなか行進していった。流れに身を任せるしかなかった。途中,日も暮れ,風が強くなってきた。東京から千葉へは,何本も川を渡らなければならないが,橋を渡る時はかなりきつかった。京葉道路で江戸川まで着いたときは,橋が車専用だったので途方にくれた。そこで落ち着いてiPhoneでルートを確認すればよかったが,暗いのと老眼なのと疲労とで判断力が衰えていた。徒歩でも渡れる橋が北と南にあったのだが,北の遠回りの方を選んでしまった。寒風のなか江戸川の土手を長時間歩いてかなり消耗した。そのあと,千葉街道を市川から船橋まで歩いていった。道路は,船橋あたりまでは千葉方面の車線が渋滞で全く動いていなかった。船橋を越えると東京方面の車線が込んでいた。

 歩き始めて6時間くらいまでは普通に歩くことができたが,それを越えた頃から,足が重くなり,日付が変わる頃になると,一歩一歩足を引き摺るようになった。船橋までは路上を歩く人もまだ見られたが,それを越えて自宅までの最後の4kmくらいになろと,孤独に歩くことになった。自宅近くは街全体が停電で,信号も街灯もついていなかった。8時間以上歩いて1時過ぎに自宅に着いた。万歩計によると53621歩,歩いていた。さいわい水道・ガスは止まっていなかった。電気がないと暖房もつかず,暗いなか夕食を食べて,すぐに寝た。

 電気は今日午前11頃復旧した。足は使いものにならず,休養あるのみ。

 今回の経験で,いろいろな教訓を得た。iPhoneの通話はほとんど使えなかった。メールやツイッターは使えたので,家族も使えるように訓練しなければならない。帰宅経路は事前にきちんと確認しておかなければならない。今回の遠回りはかなり時間と体力を無駄にした。できれば,職場に運動靴,リュックサック,携帯ラジオ,食料を備蓄しておくことも必要だ。実際そうした用意をしていた帰宅者を見かけた。ヘルメットもあればなおよい。今回は頭上からの落下物はなかったが,余震が続けば,ビル街では落下物もあっただろう。たまたまマスクをもっていたのは,顔面を防護するのに役立ったが,できればゴーグルもあったほうがよかった。めがねをかけていても,強風はかなり目を疲労させた。食事は,スタート時にとるべきだった。歩き始めると食べる気がなくなる。また,飲食店も断水等で営業していない場合が多かった。途中コンビニでパンでも買おうと思ったが,めぼしいものは売り切れで,お菓子的なものしか残っていなかった。買うのなら早めに買っておいた方がよかった。結局,途中で食べたのはどら焼き1個である。トイレも,入れるときに入っておいた方がよい。公民館や一般の店でトイレを貸しますといってくれているところもあったが,それほど多い訳ではない。

【天気】晴れ。