大サイクロトロン日誌

 今日7/21の東京新聞に,理研の大サイクロトロンの実験日誌「大サイクロトロン日誌」(A5ノート2冊,1942.7-44.4)が発見されたとのニュースが出ていた。

日本の原爆開発研究に関与 戦中の加速器日誌発見

2008年7月21日 朝刊

 太平洋戦争中に東京都文京区にあった理化学研究所(理研)で造られ、日本の原爆研究開発計画にも組み込まれた加速器「大サイクロトロン」(重量二百二十トン)の実験などを記録した日誌二冊を、仁科記念財団の中根良平常務理事(87)が理研跡地にある同財団で発見した。

 日誌は、原爆研究の責任追及を恐れた理研の研究者によって焼却されたと考えられており、発見は初めて。戦中の理研での原子核研究を探る第一級の資料として注目される。

 日誌の期間は、一九四二年七月-四三年一月と四三年二月-四四年四月。A5判のノートに建造や実験の苦闘ぶりが、図面や数値入りで日曜日を除く連日、日記風に詳しく書き込まれている。

 主任研究員だった仁科芳雄博士(一八九〇-一九五一年)のもとでサイクロトロンを担当していた山崎文男博士(一九〇七-八一年)が主に書き、ほかの研究員も随時、データなどを細かく書き込んでいる。資材不足の中、装置を真空に保つのに苦心した様子(四二年七月)や、「遂(つい)に(中略)ビーム光る」(四三年十二月)と、うまく進んだ喜びが読み取れる。

 出征する研究者の壮行会や、実験中に放射能を浴びたためとみられる研究者の白血球減少なども記述されていた。

 

「空白」埋める発見

 江沢洋学習院大名誉教授(物理学)の話 大サイクロトロンの建造や実験の様子はこれまで詳しく分かっていなかった。日誌はその空白を埋める貴重な資料だ。戦中で資材が欠乏する中で材料入手に苦労した様子がつかめる。

 大サイクロトロンは「使い物にならなかった」とされていたが、日誌からは、実験を試みていたことが分かる。日誌を読み解く必要がある。

 

 <大サイクロトロン> 磁場の中で円運動しているイオンを加速し、新しい元素づくりなどに使われる基礎実験装置。理研が、1937年に造った小サイクロトロン(重量23トン)に続き、44年に完成させたが、これまで建造や実験の詳細は不明だった。強い中性子源などになるため旧陸軍の原爆開発研究「ニ号研究」の一端に組み込まれ、学術的な装置でありながら、原爆研究に関係する二面性があった。米軍が45年11月に理研の2基と京都大、大阪大の計4基のサイクロトロンを破壊した。大サイクロトロンは当時世界最大級で、成果が期待されていただけに、破壊への非難が国際的に高まった。

 

出典:http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008072102000117.html

 また,東京新聞には出ていなかった発見の経緯が共同通信の記事(2008.7.20)にはある。

日誌は、当時の理研の資料を引き継いだ〔仁科記念〕財団のロッカーで、本に挟まっていた。元理研副理事長の中根さん〔中根良平仁科記念財団常務理事〕が本の整理中に偶然発見。「よくぞ残っていた」と感激する。

 

出典:http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008072001000379.html

 このようなことは時々あるのだ。資料探しは「諦めない」ということが肝心だ。