Clueless in Academe

Gerald Graff, Clueless in Academe: How Schooling Obscures the Life of the Mind, Yale University Press, 2003, 320p (Kindle ed.).

2019.8.5読了

飛ばしながら通読したのはこれで二度目。今回は,新たに購入したNot-eReaderで読んだ。著者の言いたいことはほぼつかむことができた。

タイトルの意味は「学問の世界の,つかみどころのなさ」といったところ。これは,学問の難解さとは別の事柄で,中学校の二次方程式までは分かったが,高校で微積分が出てきたら数学が分からなくなった,といった話ではない。「そもそも学問とは何をすることなのか」が,はっきりとは教えられていないため,多くの人は学問の世界に入ることができないで終わってしまっている,という話だ。学問の世界に入ることができた人は,特に教えられたわけではないが,いつかの時点で何となくそれがわかったので学問の世界に入っている。学問の世界に入ることができた人とできなかった人の間には大きな溝が横たわっている。著者の主張は,学問の世界は日常の世界と共通点があるため,適切に教えれば,多くの人が学問の世界に入ることができる,ということ。そしてそれは,社会の中に様々な分断ができている現代においてとても重要なことだということである。なお,ここで学問とは,知的な世界のことであり,大学等の専門化された学問ばかりではなく,評論やジャーナリズムの世界も含まれる。

さて,では学問をするということはどういうことだと考えられているのか。それは,学術的会話(academic conversation)をするということである。具体的には,「他人の言うことを良く聞き,それを要約し,それに対して自らの考えを述べること」(listen, summarize, and respond)だ。これだけだと,つかみどころのなさはあまり変わらないが,著者はそれを非常に具体的に教えることが可能だという。その方法とは,テンプレートを使うことである。例えば,次のようなものだ。

While most readers of ____ have said ____, a close and careful reading shows that ___.

学術的な会話とは,この手の様々な言い回しを使って,会話(議論)をすることである。学問の世界にいる人は,何の苦もなくそうした言い回しが駆使できるのだが,そうでない人はこうした言い回しができない。したがって,学問の世界に入っていけない。

もちろん,独学は可能である。というか,学問の世界に入っていった人はみな,このような言い回しで書かれた本や論文を多数読むことでいつのまにか自分もそうした言い回しができるようになったのである。特に教えられたことはないだろう。しかし,多くの人はそうした言い回しで書かれた文章を読むことが苦痛であり,そうした世界に入ることを拒否するのだ。

この本は,そうした学問を拒否する人の側から,学問の世界がどのように見えるのかを分析し,多くの人を学問の世界に招くための教え方を模索する。テンプレートを使った方法もその一つなのだが,著者はその後その方法を1冊の本にまとめた。They Say / I Sayというタイトルの本で,2018年に第4版が出ている。

テンプレートを使う方法は,今学期私も授業で試してみたが,とても有効だということが分かった1。このような方法がどのような背景から生まれてきたのかを,本書で確認することができた。

【天気】晴れ。

  1. 授業の反省」参照。