良い学び手を育てる

ライティング・ワークショップでは,「良い作品を書かせる」のではなく,「良い書き手を育てる」ことが大事だという。それを拡大すれば,「良い答案を書かせる」のではなく,「良い学び手を育てる」ことが大事ということになる。

あすこまさんのブログで「「良い作品を書かせるのではなく、良い書き手を育てる」とはどういう意味か」という記事を読んだ。そのポイントは,生徒の作品を点としてではなく,線(プロセス)として見ることが大事だということだ。これは,作文教育だけではなく,すべての教育に共通したことではないだろうか。

大学では,期末の試験またはレポートで成績を付けることが多い。もちろん,平常点として日頃の授業で小テストや小レポートを課して,それを成績評価に反映させることもあるだろう。

しかし,どれも学生の答案やレポートを点として評価していないだろうか。それぞれの成果物をある基準で採点し,点数を合計して最終的な点数を出す。そこでは,学生が学び手としてどれだけ成長したかということは考慮されていないし,そのためのフィードバックも行われない(ことが多い)。

それでも,学生は,様々な学びの機会を通して,学び手として成長していくだろう。ただ,現在の多くの授業ではそれが意識されていないため,非常に効率が悪いような気がする。

私は,期末レポートを読む時,その学生が1学期の間に学び手としてどれだけ成長したかを知りたい。そのためには,学期の初めからその途中における学びのプロセスを何らかの形で知る必要があるし,その際には可能な範囲でフィードバックも行いたい1

来年度にやりたいと思っている授業は,それが可能な形になっていると思う。問題は,大勢の学生の学びのプロセスをどれだけきめ細かく見ることができるかということだ2

  1. あまり意識していなかったが,今年度実施した大福帳方式の振り返りシートは,学びのプロセスを知りたいという私の潜在意識を反映したものだったと思う。
  2. 2018年度前期,学習カルテの試みを始めた。