講演会

 昨日の化学史学会編集委員会の後、来日中のロシア人科学史家ドミトリエフ氏による講演会に参加した。分かりやすい英語による講演で、またパワーポイントもあったので、ある程度分かったが、一つ会議を終えた後だったせいか集中力が弱まり、世界的に有名なメンデレーエフ研究者の貴重な講演を存分に楽しむまでにはいかなかった。
 今日、その講演会で配付された資料(ドミトリエフ氏を招聘したK氏が用意したもの)を読んだところ、メンデレーエフの生涯にとても興味を抱いた。K氏は日本語によるメンデレーエフの伝記を書く予定とのことなので、その完成を楽しみに待ちたい。
 さて、今回の講演会の経験から、次のようなことを考えた。私がロシア人から英語で私にとって未知のテーマについての講演を聴くのは、学生が私の授業を受けるときと似ているのではないか。私は日本語で講義をし、多くの学生はその日本語をある程度は理解できるであろう。しかし、その話のおもしろさ(もしそのようなものがあるとしてだが)を十分楽しむまでには理解できていないのではないだろうか。それでも、じっくり読むことのできる資料があれば、その話に関心を持つことができるかもしれない。教科書や授業資料は、講義を何倍にも楽しむためにあるものだと思う。書かれたもののありがたさを十分分かっていない学生が多いような気がする。「授業で教科書を使わなかった」と苦情を言う学生が毎学期必ず出てくるのもそのためだと思う。

【天気】曇りのち晴れ。