久しぶりにブログの記事を書いている。年末というのは,授業を振り返りたくなる時期なのか。
2010年は私にとって始まりの年だったようだ。年末に「2010年を振り返る」シリーズ全13回の記事がある。久しぶりに読み返して,この7年間にやってきたことの出発点を確認することができた。
特に,再確認しておきたいのは次の2箇所。
デジタルネイティブのことを意識するようになってからは,教員からの一方的な情報提供である講義が大学の授業の中心にある限り,根本的な問題は残ったままのような気がしてきたのだ。教員が学生に一方的に話し,のちに学生がその知識を覚えているかどうか試験する(Prenskyはこれを”telling and testing” pedagogyと呼んだ)——この形を変えなければいけないのではないか?(2010年を振り返る(6) デジタルネイティブより)
茂木 大学というシステムが終わっていることは体感でわかるんですよ。つまり,クラスルームに行って講義するまではいいのですが,その後宿題を出して,レポートや試験の採点をして成績をつけるという一連のプロセスがまったくナンセンス。学生の時は意味があると思っていたけれど……。
梅田 僕は学生のころ,最後まで良い成績を取ろうと考えていたんだけれど,あるとき,これには何の意味があるんだろうと思い始めた。でもきっと何か意味があるんだろうと思って最後までがんばったんですが,結局意味はなかったですね。(『フューチャリスト宣言』からの引用,2010年を振り返る(12) 今年はまった人々より)
この7年間,いろいろ模索を続けてきたが,結局”telling and testing” pedagogyに戻ってきてしまったように思える。その原因は,これが学生にとっても,教員にとっても慣れ親しんだ安心できる教育方法ということなのだろうか。
来年は再度,挑戦することにしたい。今度は,新しい方法を少しずつ導入するつもりだ。