ツイッター時代の覚悟

 Iさんのブログで,早大生カンニング事件のことを知った。ある学生がツイッターで,カンニングしたことを先生の名前を挙げてつぶやき,その先生がコメント(リツイート)したことをめぐる一連の騒ぎだ。

 この事件をどう捉えるかは人によって様々だろう。たしかに,Academic Honesty(知的誠実さ)が学生の間でないがしろにされていることは,剽窃問題に悩まされてきた私も同感だ。

 しかし,今回の事件は,気軽にカンニングをする学生や,その学生を擁護する人が多いということより,ツイッターでつぶやくことの覚悟のなさが問題のような気がする。誰が見ているかわからない,誰に何を言われるかわからない世界でつぶやく時には,その結果について引き受ける覚悟が要求される。場合によっては,自分では大したことがないと考えていたことが重大なことで,その結果非常に厳しい制裁を受けることになる,というのもあり得ることであり,その場合には潔くその結果を引き受ける覚悟を持っておかなければならない。その覚悟がない人は安易にツイッターに手を出してはいけない。

 これはツイッターに限らず,ネットの公開部分で表現活動をする場合には同様の覚悟が必要だ。しかし,コメント欄を閉鎖しているブログなどでは,そのブログの中に批判が飛び込んでくることはないし,そのブログの批判を読者が見つけるのも手軽にはできない。他方,ツイッターは自由にコメントをつけられ,しかもそれがフォロワーに自動的に配信される。自分のつぶやきの反応が一瞬のうちに多くの人に伝わるということは,それが悪い反応だった場合に大変なことになる。したがって,ツイッターにはこれまで以上に覚悟が要求されるのだ。

 そこが十分に認識されないまま,ツイッターがブームとして広がってしまったために,今回の騒動が起こってしまったのだと思う。

 なお,本ブログを2.0にバージョンアップしたのは,覚悟のレベルを一段上げたことを意味する。