観劇

 池袋で劇団昴の「イノセント・ピープル」を観る。私は,このお芝居が作られる過程で少々協力をしていたため,先に台本を読んでいた。そのため,劇場で「次はどうなるか」といったドラマの展開を楽しむことはできなかったが,台本から得た自分のイメージと実際の演出の差を楽しむということができた。

 日本人がアメリカ人を日本語で演じるので,もともと無理がある。そこを逆手にとって,というのがこの演劇の面白さだろうが,それならば,もっとわざとらしいくらいに「らしさ」を強調してもよかったように思う。その良い意味での違和感が少なく,あっさりした印象をもった。しかし,それでも初めて聞く人にとっては刺激的なせりふが多かったかも知れない。私としては,海兵隊将校となったグレッグが良かった。

 日本では,「原爆は悪」ということになっていて,それ以外の考えを聞く機会が少ない。原爆を肯定するアメリカ人に驚きや怒りを感じる日本人は多いだろう。しかし,このお芝居ではそうした考え以外の様々な考えを持つアメリカ人が登場する。グレッグが強烈なので少し影が薄くなっていたように思うが,そうした多様な考えのアメリカ人が登場するのがこのお芝居のいいところだ。

 他方,登場する日本人はどうかというと,「アメリカ人から見た日本人」ということで登場するので,あえて平板でステレオタイプに描かれている。それはこの演劇の視点として一貫しているのでよいのだが,被爆者ないしその二世・三世しか出てこないため,「被害者としての日本人」という私たちにとって受け入れやすい視点にとどまっている点は少々物足りない感じもした。日本が,核廃絶を唱えつつ,アメリカの核抑止力を安全保障の柱としてきた(それは現首相によって最近再確認された)ことの矛盾を突くようなせりふがあったら(グレッグでもブライアンでもいい),「イノセント」な日本人に対する批判的視点が加わって,なお良かったかもしれない。

 さて,「イノセント・ピープル」を観る上で知っておいてよい知識をいくつか書いておきたい。

 まず,今回の主人公となる5人を演じた役者さんたちは,中年といってよい年齢の方たちだったので,原爆開発時に20代前半という若者だったことが理解しにくいかも知れない。設定上は,原爆開発に関わった科学者たちといっても研究組織の末端で働いた若者たちだ。ブライアンがそうだったが,命をかけた危険なことをさせられた者たちも多かっただろう。そうした当時の若者たちに,原爆開発の責任をどれだけ問うことができるかという問題がある。もちろん,ブライアンはその後もロスアラモスに残って水爆の研究などもしたので,その責任はまた別の問題であるが。

 それから,戦時中,原爆開発を進めていたアメリカの科学者の間で,原爆の実戦使用に反対する議論があり,大統領に請願書を送るなど,実際に行動を起こした人たちがいたということ。

 そして,日本人も戦時中,理化学研究所と京都大学で原爆研究をしていたということをどう考えるか。また,戦後の日本におけるアメリカの原爆影響調査(これも原爆研究の一環である)に日本人科学者が協力したということをどう考えるかという問題がある(これについては最近NHKで番組「封印された原爆報告書」が放映された)。

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 さて,演劇づくりに少々協力した歴史家という特異な立場からコメントを書いたが,2時間という限られた時間で,長々と説明することも許されない演劇という表現形式において,これだけたくさんの要素を盛り込んだお芝居を作り上げた関係者のご苦労は私の想像を超えるものであっただろう。特に,たくさんの仕事を掛け持ちでこなしている劇作家Hさんの超人ぶり(ブログで窺える)には驚嘆するしかない。ともあれ,科学者を扱ったこれまでにない演劇が一つ生まれたことを科学史家として嬉しく思う。多くの人に見てもらいたい作品だ。

 公演は,8月29日(日)まで。池袋・シアターグリーンで。

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参考:科学史家Kさんの劇評

【天気】晴れ。