苦行ではなくなった

昨年の今頃,答案の採点を苦行と行って嘆いていた。「もし,この苦行が何らかの形で報われるならば,それは,もしかしたら苦行ではなくなるかもしれない」。あれから1年。苦行ではなくなりつつある。

2018.1.12の記事「大学というシステムは終わっているのか?」で

この作業〔答案の採点〕が特につらく感じられるのは,そうして費やされた自分の労力が果たしてどれだけの意味を持っているのか,実感できないことによる(少なくとも私の場合)。もし,この苦行が何らかの形で報われるならば,それは,もしかしたら苦行ではなくなるかもしれない

と書いたのだが,評価のあり方を変えたら,苦行感はだいぶ緩和された。

まず,レポート等を草稿と最終稿と2つ(以上)提出させることにした。草稿は受講者同士のピアレビュー(査読と言っている)を受けさせるので,受講者は一度フィードバックを受けている。可能ならば,私もコメントを付けている。このようなある種の評価がすでになされているので,それをベースに成績評価をすることが可能である。

また,最後の授業で学習ポートフォリオを作成させた。これには,基本的に学生が「できたこと」が書かれている。これまでの成績評価は「できなかったこと」「できていないこと」を示していた。基本的に教員からのダメだしなのだ。しかし,ポートフォリオによる自己評価では,たとえ「できていないこと」が書かれていても,それは自分でそう判断したのである。これは,受講者の今後の学びに影響を与えることだろう。そうしたことを感じながら採点をするので,徒労感が緩和される。

学びが終わったあとの成績評価自体は,これまでと同じように本人にとってはあまり意味のあることではない。しかし,それは今後の授業改善にとっては有用な情報を与えてくれる。何ができて何ができていないのか,受講者全体はどのような傾向・パターンがあるのか。こうしたことを考えながら採点することは,私にとっては意味のあることだ。

採点は次のような手順で行われる。

  1. 学習ポートフォリオを読む。
  2. ポートフォリオに掲載されている成果物(書評・小レポート・期末レポート)を読む。
  3. その際,草稿をどう修正して最終稿にしたか,自己コメントを読み,修正箇所を確認する。
  4. 「学びの軌跡」(各回の学習記録)を確認し,ポートフォリオに書かれた学びの経過と照合する。
  5. 原稿の修正具合(改善の度合い)や最終稿の質,自らの学びのメタ認知の程度などをもとに,最終的な成績を付ける。成果物の質も考慮されるが,学びのあり方自体をより重視して採点する。

時間はかかるが,やりがいのある作業である。

【天気】曇り一時雨。