マスコミ報道によると、中央教育審議会の山崎正和会長は個人的な見解として「(道徳教育とともに)歴史教育もやめるべきだ」と語ったという。このような非常識な見解がどのような理由から出てくるのか不思議に思い、調べてみた。東京新聞(2007/4/27)から。
山崎氏は「歴史教育もやめるべきだ。わが国の歴史はかくかくしかじかであると国家が決めるべきではない」とも指摘。「歴史がどうであったかは永久に研究の対象」と述べ、同じ事柄を正反対に記述した歴史文学2冊を読み比べさせることを提唱した。
新聞は学校での道徳教育不要論の方に力点を置き、歴史教育についてはついでに報道している感じだが、これも日本人の歴史学軽視の表れかもしれない。
新聞記事だけでは山崎氏の真意をつかみ損なう恐れもあるが、記事の内容から2つの問題点を指摘したい。まず、現在の日本の学校における歴史教育では、国家が決めた歴史を教えているわけではないこと。教科書は一応検定を経て一定の枠内のものを使っているが、副教材は自由に選ぶことができ、教える内容も指導要領を基準としつつもかなり多様な内容が教えられているはずである。
また、歴史観の多様性を指摘するために、歴史文学を引き合いに出していること。歴史文学と歴史学の区別をしていないことも問題だ。また、たとえ多様な歴史観が存在しても、それを教えることができないということはない。多様な歴史観が存在するということも歴史教育の重要な内容になる。
道徳は学校教育で(教科として)教えなくても、まわりの大人が教えていくことは可能だろう。しかし、歴史はどうか。歴史を知らない大人が多い現状を考えると、その大人たちが子どもに歴史を教えていくことができるとは思えない。そして、学校でも学校以外でも歴史を教えられなかった人が大人になったときどうなるか。想像してみてほしい。