成績評価の時期になるといつも悩むことがある。素点から最終的な点数をどのようにつけるかということだ。
一般に、素点をそのまま最終的な点数としてつけられることは少ない。素点が受講生の実態を必ずしも正確に反映しているとは限らないからだ。教員は受講生に関する様々な情報をもとにある程度の漠然としたクラス全体および受講生個人の実態を把握している。評価方法が不十分だと(例えば、試験問題が難しすぎた場合など)その実感と素点がかけ離れてしまうことがある。そうした場合には、素点をもとに「調整」をして自分が考える実態に近いと思われる点数を作り出す。これを成績の「捏造」とは言えないだろう。
しかし、素点が実態をそれなりに反映していると考えられるにも関わらず、成績不良者が多く、受験者の半分以上が不合格になってしまうからといって、素点にいくらかの「下駄」をはかせて合格者を増やすというのはどうだろうか。これは、成績の「捏造」ではないだろうか。
最近、技術者や科学者のデータ捏造が問題になっている。私も、技術者倫理の授業ではそのようなことを取り上げて、捏造をしてはいけないと言っている。にもかかわらず、教員自らが成績データの捏造をしているようでは、何ら説得力がない。
随分前から、大学における成績評価の厳格化ということが求められている。その背景には、本来単位が取れないような学生に単位を与え、本来卒業できないような学生を卒業させているという大学の実態がある。それでも、これまでは厳しい入試をくぐり抜けた学生なので、大卒にはそれなりの価値があった。しかし、入試は急速にやさしくなっている。学生の学力は多様化した。「多様化」とは、「低下」とイコールではない。平均で見れば確かに低下しているのだが、個人ごとに見れば、従来通り、あるいは従来以上に、優れた学生もいるのである。大学教員に求められていることは、そうした多様な学生をきちんと区別することである。
これまで通りの合格者が出せないことは、教員としてつらいことである。悪い成績をつけることは決して愉快なことではない。しかし、成績データの捏造は教育的に好ましくないだけではなく、社会に対する背信行為でもある。「調整」という名の「捏造」にならないよう自戒したい。
【天気】曇り一時雪(初雪)。センター試験一日目。