埋もれた地下兵器工場 〜長崎・被爆した魚雷工場は語る〜

  • 「埋もれた地下兵器工場 〜長崎・被爆した魚雷工場は語る〜」2008.8.7, NHK総合, 45分 

 去年5月、長崎市の工事現場で、地下兵器工場の跡が姿を現した。日本軍の魚雷製造の拠点「三菱長崎兵器製作所・住吉トンネル工場」。被爆遺構が年々失われていく中で、爆心から2.3キロ、ほぼそのままで残された貴重な遺構である。第二次大戦末期、一大軍事拠点だった長崎では、戦況の悪化に伴い、空襲を避けるためにいかに造船所や兵器工場を郊外や地下壕などへ移転させるかが至上命題だった。住吉トンネル工場は、昭和19年夏頃から朝鮮半島から連行された人などを動員して突貫工事で造られた。トンネルの壁面には手作業で掘り進めた跡が刻まれている。工場では、「動員学徒」や「女子挺身隊」などが昼夜を通して働き、日本軍が使用した魚雷の8割を占めていたという三菱製の魚雷が製造されていた。原爆が投下された時、トンネル内外で作業していた約1800人のうち、多数が被爆した他、近くで被爆した人達が続々と逃げ込み、トンネルはまさしく地獄と化した。番組では、どのように地下兵器工場が造られていったのか。そこで働き被爆した人達は何を思ったのか。残された資料や関係者の証言を元に、これまで語られてこなかった地下兵器工場の実態と被爆の現実を描き出していく。

 

出典:http://cgi4.nhk.or.jp/feature/index.cgi?p=fAcDSWsg&g=2

 番組を見た。トンネルは6本掘られ,うち2本は未完成だったという。私がかつて訪れた松代大本営のトンネルと同じようなところだった。松代と同様,長崎でもトンネル掘削には朝鮮からの労働者が使われていた。番組では被爆して韓国に帰った人も紹介されていた。この工場で作られていたのは,九一式航空魚雷。真珠湾攻撃の時にも使われたものだ。

 このトンネル工場は1944.7.11閣議決定「緊急地下建設部隊ノ編成及運用ニ関スル件」によって建設されたもの。番組では,公文類聚所収の同文書が映された。これはアジア歴史資料センターのウェブサイトで公開されている(レファレンスコードA03010198700)。

 戦後米軍は,このトンネル工場をも調査し,報告書が米国立公文書館に保管されている。その映像も出てきた。そのタイトルは”Field Report Covering Air-Raid Protection and Allied Subjects, Nagasaki, Japan”だと思われる。この資料のマイクロフィルムは,国会図書館憲政資料室にもあるようだ。