澤地久枝 声なき声を聞く

  • 知るを楽しむ・人生の歩き方「澤地久枝 声なき声を聞く」全4回,2008.8.6-8.27, NHK教育, 各25分

 澤地久枝さんのノンフィクション作品の多くは「昭和」という時代を題材にしている。澤地さん自身の生きてきた時代や体験を振り返って、今、そして未来を考えるための手がかりを探る。

 

第1回 昭和と向き合う 8月6日
 「昭和」という時代をテーマに、時代に翻弄されながらも、忘れられてきた無名の人々を描き続けてきた澤地さん。デビュー作の「妻たちの二・二六事件」では、自らつらい体験を持つ40代の人間として、死刑囚の残された妻たちと向き合い、またミッドウェー海戦をテーマにした「滄海よ眠れ」の取材では、記録資料にも残されていない日米全戦死者一人一人の足跡を追った。その事実発掘への執念、声なき声を聞く澤地さんの思いに迫る。

 

第2回 貧しさを背負う 8月13日
 昭和5年東京・青山で生まれた澤地さん。父は大工で生活は貧しかった。より良い生活を求めて一家で満州に渡る。そこで、澤地さんは筋金入りの軍国少女時代を過ごす。しかし敗戦後、軍人だった叔父一家の自決、引揚げの苦難を験し、澤地さんは何も信じることができなくなってしまう。そんな澤地さんの目を開かせたのが「きけ、わだつみの声」という学徒兵の遺稿集を原作にした映画だった。

 

第3回 三度の心臓手術 8月20日
 澤地さんは『婦人公論』編集部で働いていた28歳のとき、心臓の僧房弁狭窄症と告げられ最初の手術を受ける。しかしその後も再発し、これまでに三回の心臓手術を受けている。「死」を覚悟した経験を経て、澤地さんは病気と共存して生きることを決め、以前にもまして積極的に仕事に取り組んでいくようになる。

 

第4回 「異形の死」をなくしたい 8月27日
 もっとも異形なる死は「戦争における死」であり、澤地さんは現在、その死をなくすために、名もなき人々の語り部として講演を続けている。福井県小浜市では、初めて孫ほど年の離れた高校生に自らの体験を語った。その高校生約500人からの感想文は、澤地さんに大きな手ごたえを感じさせるものだった。

 

澤地久枝
 1930年、東京都青山生まれ。作家。
 54年、早稲田大学卒。中央公論社の編集部員、フリーとなり作家・五味川純平氏の助手を経て、70年、ノンフィンクション作家としてデビュー。72年に『妻たちの二・二六事件』刊行。その後も史実の蔭に隠れた人物への取材を重ね、昭和史にかかわるさまざまな事件や出来事について、独自の視点による歴史ドキュメンタリーを構築。『自決 こころの法廷』『好太郎と節子 宿縁のふたり』(NHK出版)、『発信する声』(かもがわ出版)などの著書もある。護憲を訴える市民グループ「九条の会」呼びかけ人の一人として、全国で講演などを行っている。

 

出典:http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200808/wednesday.html
テキスト:http://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=0130&webCode=61895022008

 第1回を見た。自宅地下の書庫の映像が映されたが,図書館にあるような集密書架に膨大な文献が収められていた。また,スチールのキャビネットには,ミッドウェー海戦で戦死した日米兵士の個人ファイルが何千と収められていた。兵士一人一人の情報を集めるのにも相当の苦労があったという。なかなかそこまでできるものではないが,見習わねばと思った。