教養教育

本学は創立100周年の今年に改組を行い,新学部「未来科学部」を作ったわけだが,その次の改革が目前に迫っている。今回は教養教育にはほとんど手が加えられなかったが,次の改革では本学の教養教育の再編も同時に起こるはずで,教養教育のあり方をきちんと考えておく必要がある。

成績評価の問題に着手しているが,それは内容の問題と切り離すことはできない。教養教育の目的・目標と開講科目の構成,履修方法など根本的に考え直すときが来ている。

教養教育とは何か。この古典的な問題にもう一度現代的な視点で取り組まなければならない。そんなとき,現在でも教養部を置いている希有な大学,東京医科歯科大学での佐藤学氏による講演は参考になる。

 だけど考えてみますと、なぜ自然科学系を3 つの科目と人文社会系をそれぞれ3 つの科目で一般教育なのでしょう。しかもみなバラバラです。まとまりある教養になんかなってない。私なんかは疑問符だらけでしたから、早く専門を学びたい専門を学びたいと、じれったく思ったものです。そういう「一般教育」の実体を作ったのは、理念が分からないまま形だけやっていたからでしょう。やはり「一般教養」を考える場合には、どういう理念で組織するかを明確にしないと、バラバラになってしまうのですね。だからヨーロッパの大学やアメリカの大学では、「一般教育」は「スモーガスボード」といわれています。これは何かといえばバイキング料理ということです。たくさんの種類を勝手にとって食べるけれども、何を食べたかわけがわからなくなるという意味です。先生達のほうから見ると、何かの形を作ってるはずなのだけれども、履修する学生から見るとバラバラだということです。これは日本の大学のカリキュラムにおいても最大の問題じゃないでしょうか。専門教育においてもそうだと思います。この4 月から私は教育学部長をやっていますが、教育学部の学部学生が200 人いるのですが、講義の数を調べたら200 以上あるのです。ほとんど選択になっている。スモーガスボードどころの話じゃない、どの授業を開いても学生は隣の学生と同じ科目をとってない。みんなバラバラだということです。ということは、どの授業を開こうと3 年になろうと4 年になろうと、教師の側は相手がまったく無知だということを前提に授業しなければいけないということです。共通部分がないのですから。学生の方も予備知識がない、教官の方も立脚するものがないわけで、こういう構造はおそらく、戦後の日本の、特に「一般教育」に現われた現象だと思うのです。その現象が専門教育ですら起こっている。ようするに構造がはっきりしない。構造化されていても、教官側からの構造化であって、履修する学生の側からは何ら必然性も関係も見えてこないわけです。

 何が欠けているのか、それはミッションが欠けていると思います。「プロフェッショナル・エデュケーション」というのはパブリックなミッション(公共的使命)によって成り立っています。社会に貢献しうる、あるいは社会を前進しうる、公共的な問題を解決しうる、医者であれ、教師であれ、法律の専門家であれ、そういうミッションを背負う有能な人を教育しようとしているのであって、職業的な実務家を育てようとしているのではない。もちろん、プロフェッショナルにも有能な職業技術は必要です。しかしながら、「プロフェッショナル・スクール」というのは、そもそも実務家養成でもなければ職業教育でもないということは声を大きくして言っておく必要があります。単なる実務家だったら、教養はいらないでしょう。でも、ミッションを背負ったプロフェッショナルを育てようとした場合には、その人達に確かな教養が前提になると思うのです。

 新しいニーズを見たほうがいいということなのです。その一つは市民的教養、つまり生涯学習社会になり知識が高度化して様々な複合化している時代に彼らは生きていますので、それに応じた新しい表現力とかコミュニケーション能力とか歴史的教養とかです。学生はそれを求めています。それに応えられるような教養教育、これを仮に市民的教養の教養教育と呼ぶとすれば、もう一つは、プロフェッショナルを目指す人達が求めている教養教育も同時にあるのではないかと思います。これは従来のリベラル・アーツや一般教育という概念を超えたところにあるのではないかなということです。まだ形になっていないので、言葉に詰まりながら長くなりましたが、今考えていることはこういうことです。私自身が教育学部長をやっていますので、来年度に教育学部のカリキュラムを改革する時に、専門家教育を中心とした教養教育というカリキュラムを作ってみたいと思っています。学部段階の3、4年生で彼らのニーズにも応え、社会的な要請にも応える新しい教養教育の新しい形ではないかというように想定しているわけです。彼らの半分近くがマスコミとかジャーナリズムを目指しているのです。3 分の1 が大学院に行きます。一般企業や教師になるのもいますが、一般企業に入る人もほとんど人事ならびに教育関連の広い意味での専門職についています。そういうことを考えますと、おのずから必要なものが出てくるように感じられるのですね。

参考:佐藤学「教養教育と専門家教育の接合」(2004.10.2)