久留米の古書店から山本洋一著『日本製原爆の真相』(創造、1976年)が届く。この文献については、何かの文献リストに題名が載っているのを見たことはあったが、あまり気にかけないでいた。しかし、たまたまウェブで検索をしたら、この本に「戦時研究」の計画書が載っていることがわかり、早速ウェブで売っている古書店を探し、久留米の古書店にそれがあったので、直ちに注文した。
見たかった「戦時研究」の計画書はちゃんと載っていた。これは井上匡四郎文書には入っていないもので、1944年秋以降の計画だろう。原爆研究は東西で2チーム編成され(理研の仁科と京大の荒勝がリーダー。このことはよく知られている)、番号は戦時研究の番号は37-1,37-2となっている。関西グループには湯川秀樹(原子核理論担当)の名前も載っていた。原爆研究も「研究動員会議」で決定され、研究者は「戦時研究員」として任命されていたのだ。
今頃こんなことを確認しているのもおかしな感じがするが、しかしそのことをはっきり書いている文献をいままで見たことがないのは不思議だ。