イノセント・ピープル再演

 東池袋で劇団昴「イノセント・ピープル 原爆を作った男たちの65年」を観た。これは,2010年8月に上演されたもの(前回の感想はこちら)の再演だ。キャストが一部変更になった他,脚本も一部変更されている。前回,海兵隊のグレッグの強烈な印象が前面に出ていて,その他の役者さんは少し印象が薄くなってしまったのだが,今回はみなアメリカ人になりきって,いきいきしていたと思う。また,前回に比べて,いくらか省略があったようで,テンポ良く進んでいた。1945年から2010年までの65年をたどるのだから,かなり時間が必要なのだが,コンパクトにまとまっていたと思う。

 「イノセント」な(罪悪感のない)グレッグが前面に出ていた前回に対して,今回は罪悪感に苦しんでいた数学教師のジョンも重要な存在となっていた。タイトルが「イノセント・ピープル」なので,罪悪感のないアメリカ人たちばかりが登場するのかというと,そうではない。特に今回は前回よりもそのことを感じた。

 罪悪感のなさを典型的に表現していたのは,グレッグやキース,またキースの妻ニナなどだが,実は科学者のブライアンのイノセンス(罪悪感のなさ)こそが,最も重要だと思った。広島の被爆二世に嫁いだシェリルの葬式に出席し,シェリルの夫タカハシから謝罪を求められても謝罪できない。ブライアンは,自分が原爆を広島に落としたわけではないと自己弁護する。軍人のグレッグなら,広島に原爆を落としたこと自体が正当なものだと主張するだろうが,ブライアンはその問題と自分の関係を切断する。

 ブライアン的なイノセンスは,今の日本人にとって決して人ごとではない。福島原発事故に関わった電力会社・政府・学界の人々の奇妙なイノセンスは,原爆に関わったアメリカ人のそれに近いような気がする。さらに,何も考えずに原発からの電力を消費してきた一般の日本人のイノセンスをも問題にすべきかもしれない。

【天気】雨のち晴れ。午後はとても暖かかった。