昨日のシラバス検討会で気づかされたことがある。それは、教員が学生の勉強時間を互いに奪い合っているという現実だ。
単位制度の趣旨によれば、多くの講義科目では、授業時間の2倍の自習時間を前提とするような授業をすべきである。しかし現実には、そうした自習をしなくても単位が取れてしまう、つまり単位制度が空洞化していることが問題化されてきた。
そこでこうした事態を改善しようと、自習を促すための課題を毎週出すということをしているのだが、その結果は受講生の減少という事態だった。他の先生方には、自習を促すような課題を出すことに躊躇している様子が見受けられた。
というのも、学生はすでに専門の科目で過剰な課題が課されていて、課題を課してもこなす時間がないだろう、というのだ。実際、授業中に他の授業の宿題をやっている学生は少なくない。
現在、単位数に見合った学生の勉強時間以上に勉強させている科目がある一方で、単位数に見合った勉強時間以下の勉強しかさせられない科目が存在している。単位数は学生の勉強量を計る尺度なのだが、それが尺度の役割を果たしていない。
このような状況で原則に従って単位数に見合う勉強時間を学生に要求することは、結局受講生を減らすという効果を招く。学生は、出来るだけ少ない勉強量で単位が取れる(いわゆる楽勝科目)でもって勉強時間を確保した上で、多くの勉強時間が要求される専門科目の単位取得に力を注ぐのだ。楽勝科目の多くは、教養科目ということなのだろう。
このような状況の中で、個々の授業を充実させるという努力は虚しい。できるだけ学生に負荷をかけない(それは同時に教員にとっても楽な場合が多い)授業をすることが良しとされる。これで教養教育の充実ができるはずはない。
個々の授業改善を超えて、カリキュラム改革が必須であると思うに至った。ある教員の熱心さが別の教員のやる気をなくさせるということは避けなければならない。整合性のとれていないカリキュラムを改善するしか方法はない。
【天気】晴れ。