新型インフルエンザ対策としてのマスクの有効性にこだわって,いろいろ情報を集めている。日本感染症学会のウェブサイトに日本感染症学会緊急提言「一般医療機関における新型インフルエンザへの対応について」(pdf, 2009.5.21)という文書が掲載されている。とても参考になるのだが,少々気になることを発見した。
マスクの有効性については賛否両論があります。日本では肯定的な意見が多く、一方、欧米では否定的な意見が多いため、現実にカナダや米国では一般の人はマスクを着用していません。しかし、数年前のSARSの流行時にはサージカルマスクやN95マスクが院内感染予防に効果があったとする報告12)や一般的に呼吸器ウイルス感染の防止対策の一環としてマスクを含めた総合的な対策が有用であるとするシステマティックなレビュー報告13)があり、WHOは後者の報告を引用して今回の新型インフルエンザ対策としての市中でのマスク着用を勧めています14)。ただし、マスクは正しく着用しなければ効果はありません。
と書かれている。しかし,WHOの文書(pdf, 2009.5.3)(抄訳by N.Ono, pdf)を見てみると,どうも市中でのマスク着用を勧めているようには読めないのだ。そこにはこう書かれている。
In health-care settings, studies evaluating measures to reduce the spread of respiratory viruses suggest that the use of masks could reduce the transmission of influenza.2 Advice on the use of masks in health-care settings is accompanied by information on additional measures that may have impact on its effectiveness, such as training on correct use, regular supplies and proper disposal facilities. In the community, however, the benefits of wearing masks has not been established, especially in open areas, as opposed to enclosed spaces while in close contact with a person with influenza-like symptoms.
ちなみに,ここでの注2が,感染症学会の引用文の注13と同じ文献を参照している。WHO文書が言っているのは次のようなことである。——呼吸器ウイルス拡散抑制法を評価した諸研究は,医療(health care)の場面でのマスク使用がインフルエンザの伝染を少なくすることがあるかもしれないことを示唆する。他方,市中(community)でのマスク使用の有効性については確立されていない。—— 逆接を表現するhoweverに注意すべきだ。したがって,「WHOは後者の報告を引用して今回の新型インフルエンザ対策としての市中でのマスク着用を勧めています」という感染症学会は,WHO文書の誤読・誤解をしているのではないだろうか? WHOウェブサイトのFAQにある次の回答も参考になる。
What about using a mask? What does WHO recommend?
If you are not sick you do not have to wear a mask. If you are caring for a sick person, you can wear a mask when you are in close contact with the ill person and dispose of it immediately after contact, and cleanse your hands thoroughly afterwards.
「自分の具合が悪くなければ,マスクを付ける必要はない」とはっきり言っている。病気の人を看病するときにも「マスクを付けることができる」ということであって,「マスクを付けなければならない」あるいは「付けた方が良い」とは言っていない。非常に弱いニュアンスのyou canが使われている。「どのような場面でも,マスクは正しく使うことが重要であり,マスクを正しく使用しないと,実際にはむしろ感染を広める確率を高めることになる(Using a mask correctly in all situations is essential. Incorrect use actually increases the chance of spreading infection)」という注意からは,むしろマスクの使用をあまり勧めていないようなニュアンスを感じてしまう。
なお,私は,マスク使用に一定の効果を期待しているが,限られた資源である貴重なマスクをむやみに使うことには否定的だ。マスクを付けていないと肩身が狭くなるような雰囲気が広がりつつあり,ともかくみんなと同じようにマスクを付けておこうという人が増えているような気がする。マスクが品薄になり,投機の対象になっている気配すらある。手に入りにくくなると,不適切な使用法(たとえば,使い捨てマスクを繰り返し使用するなど)をする人も出てくるかも知れない。また,みなが備蓄・買い占めに走り,ほんとうに必要とする人(医療関係者や自宅療養患者の看護者を含む)にマスクが行き渡らなくなることを恐れている。