日本の大学のアメリカ化

 1990年代以来、日本の大学は少子化を背景に改革を進めてきた。それは、来るべき危機を予想して、何とか生き残りを図ろうとする動きでもあった。しかし、その危機感は大学人の多くに共有されるには時間がかかり、ここ十数年は極めて表面的な、形式的な対応に終始してきた。つまり、形だけアメリカの大学をまねるということである。
 しかし、そろそろその危機が現実のものとなりつつある。定員割れの大学がじわじわと増え、入試は形だけのものとなる大学が増えている。ほとんどフリーパスで入学が可能な大学が増えてきているのだ。
 しかし、これはアメリカの大学ではあたりまえのことだ。入学者を学力検査で選抜することのできる大学は、アメリカでは少数だ。日本もそうなりつつある。
 このような状況の中で、大学はどう変わるか。あるいは変わらなければならないか。個々の大学の壁をできるだけ薄くし、大学入学後も他大学へ容易に転学できるようにすべきだろう。学生は、とりあえずどこかの大学に入学し、そこが合えばそこに在学し続け、合わなければ別の大学に転学する。大学側は学生を囲い込むという発想を捨てなければならない。
 本学でも、入学者の一定数は途中でやめていく。他大学に転学する学生も少しずつ増えているようだ。無理をして本学に在学させ続けるより余程よい。転入はどれくらいあるのだろう。新入生を確保することも大切だが、他大学の学生が転入学したくなるような大学にすることも視野に入れて改革を進めることが大切だ。
 大学はともかく、学生は確実にアメリカ的になってきている。それに対応できる大学のみが生き残っていくことになるだろう。

【天気】晴れ。青空。穏やか。赤瀬川原平の『老人力』を読んでいる。