なぜ講義を望むのか

 デジタルネイティブは,一方通行の講義ではなく双方向的な活動を好むということが文献などには書かれています。しかし,先に実施した人間科学科目に関するアンケートの結果(pdf)(質問5)によると,望ましい授業の形態として,「教員の話を聴く(講義形式)」と「ビデオを視聴する」を挙げる学生が飛び抜けて多いのです。これはどう解釈したら良いでしょうか?

 一つの解釈としては,電機大の学生はデジタルネイティブのなかでも特殊な集団で,本当に講義やビデオを見るのが好きなのだ,という解釈です。しかし,受講態度を観察していると,どうもそれは本当らしくありません。電機大の学生も一方的に話されるのを聴きつづけたり,ビデオを見続けたりするのは苦痛なのではないでしょうか。

 それが本当だとすると,なぜ講義やビデオが望ましいと回答したのでしょうか? 私たち教員が話し合ったときには,こんな意見がありました。学生は,人間科学科目をいやいや受講しているので,ともかく余計なことはして欲しくない。講義やビデオは学生が何かをすることを求められていないので,楽ができる。寝ることもできれば,内職をすることもできる。教員にしかられない程度におしゃべりもできる。それで満足しているのではないか。へたに教員が頑張って学生に何かをさせようとするのは迷惑なのではないか。

 教員としてはそんなことはあって欲しくないのですが,どうなんでしょう?