科学技術史Aの授業では、19世紀のドイツとアメリカの大学を取り上げた。この時期に科学研究の場が大学に移るという話である。これは定番の話だし、私の専門でもあったので、力が入るのだが、受講生によるその受け止め方は様々で興味深い。
二部の学生に多いのは、日本の大学でも教養をもっと学べるようにして欲しいという要望である。アメリカでは教養を学ぶ学部段階のカレッジと専門の研究を学ぶ大学院を分けたのだが、日本では学部段階から専門中心である。これはドイツの大学をモデルとした旧制大学のなごりで、教養教育を担当した旧制高校を無くし、さらに教養部を解体した現在、高等レベルの教養教育はきわめて弱体となっている。そこを学生は問題にしているのだ。以下、学生の声。
日本でも、常識を学んだり、理系でも他国語会話や日本の文化を知る機会を作ってほしいと思いました。ドイツの大学よりは、アメリカの大学に近い感じになるといいのではと思いました。
現在の大学システムにおいてそのような意図があること自体をはじめて耳にした。現在の大学のあり方を当然のものとして受けいれ疑問を抱かないのが普通であり、今の大学生活において人間として教養を高められているかについては疑問が残る。今の大学の状況が当時のドイツの大学と同じように矛盾と教育の古さから衰退していかないことを切に願うばかりである。
大学が教育と研究をする施設となってから約200年経っている。この200年という数字をみたときに人類の歴史からみると浅いと感じた。
日本の大学は当時のドイツの大学に近いということを聴いたときアメリカの大学を基にしていることを考えると、日本の大学は中途半端だと思った。
日本ではドイツ式理念の大学が多い。大学ですでに専門分野が多く取り入れられている。つまり大学を卒業しても一般教養は高校で学ぶ程度しか知らないのである。しかし社会に出ていったい何が求められるだろうか。私は実体験からコミュニケーション力だと思う。では教養のない人が、人とうまく会話をしコミュニケーションをとることができるだろうか。できないと私は考える。
専門知識は確かに必要であるが、それは教養という基礎の上にある。私はさらに教養の習得に取り組んでいきたい。
ドイツ式の大学の話を聞いてその分野を専門的について研究していくスタイルがすばらしく思えた。だが専門的すぎるすぎるドイツ式では欠点があるため、今日の大学はアメリカ式になっているという話を授業で聞いた。このとき思ったことは、未来の大学制度についてだった。日本でも教育について色々話し合われており、やはり今の制度のままではいかないだろう。いったい遠い未来ではどんな大学になっているのだろう。とても興味がある。
【天気】曇りのち雨。